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ここより下に家を建てるな、という昭和の石碑の50m手前で今回の津波も止まっていた事を知っていましたか。下に家を建てた地区もあったのでしょうか。

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う

過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
(2011年3月30日07時22分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm

  • 質問者:ソラマメ
  • 質問日時:2013-04-21 14:03:40
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人間と言うのは忘れやすい生き物ですね。
江戸時代の本にも、ひどい天災があったのにすっかり忘れられていると書かれているものがあるそうですが、日々の生活を優先すると忘れるのが一番簡単で楽なのかもしれません。
教訓より便利さや快適さが大事で、将来のことまで考える時間やお金がないのでしょう。
政治がしっかりしていないのも問題ですね。
関東大震災の後には、日本の将来のことを考えて街づくりを考えていた人がいたようですが。

  • 回答者:とくめい (質問から41分後)
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いいえ知りませんでした。

先人達の教訓のメッセージなのですよね。当然軽んじる事は出来ませんね。

その教訓を守った人たちは救われたのですよね。素敵な話しに感動です。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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お礼コメント

その逆が問題なのです。教訓を守らなかった集落も多かった。その結果が、です。

昔の人の言う事は馬鹿にできません。

  • 回答者:匿名 (質問から4日後)
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素晴らしい教えですね。

孫子の代まで事故に巻き込まれて欲しくないという先祖のありがたい教えです。

  • 回答者:匿名 (質問から2日後)
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同じ事の繰り返しだと思います。
人間、事件や事故にあっても数十年経てば忘れてしまって、それよりも便利さやお金儲けを優先してしまうのです。何かあってからでは遅いのですが、それでもって感じです。
この繰り返しで、震災の記憶が薄くなれば家が建ち始めるはずです。

  • 回答者:匿名 (質問から11時間後)
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