過去の津波で高台移転をしたのに、今回は浸水した場所が何箇所くらいあるかしっていましたか。焦点/過去の津波で高台移転 21地区、浸水被害過去の津波で被災し高台移転したにもかかわらず、東日本大震災でも津波に襲われた地区が岩手、宮城両県で少なくとも21地区に上ることが、内閣府の調べで明らかになった。移転先の標高が10メートル前後の地区が多く、津波に対し標高が不十分だったため、被害につながったという。専門家は「今後の移転の際は、最大規模の津波を想定するべきだ」と提案している。◎標高10メートル前後不十分/岩手・宮城30地区、内閣府調査 内閣府は明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)、チリ地震津波(60年)の後に、高台などに移転した地区を過去の文献などから調査。明治三陸大津波後には43地区、昭和三陸津波後には再度移転も含め98地区が、集団もしくは戸別に高台移転していた。 このうち岩手県の20地区、宮城県の10地区の計30地区について、今回の震災の被災状況を調べた。調査地区と被災状況は図の通り。 移転時点の地名で見ると、岩手県では大槌町吉里吉里、越喜来村浦浜(大船渡市)、鵜住居村両石(釜石市)などの12地区で、宮城県では唐桑村大沢(気仙沼市)、歌津村石浜(南三陸町)、十五浜村雄勝(石巻市)などの9地区で家屋流失や浸水などの被害があった。 その一つ、大谷村大谷(気仙沼市)では明治三陸大津波で遡上(そじょう)高4.9メートルの津波が襲った後、村営事業として集団で高台移転したが、今回は同16.6メートルの津波で移転先にも浸水被害が出た。 今回も津波被害に遭った21地区のうち、船越村田ノ浜(岩手県山田町)など5地区は明治三陸大津波、昭和三陸津波のたびに計2度移転していた。 一方、調査対象の30地区のうち今回被害を免れたのは、吉浜村本郷(大船渡市)など9地区。十三浜村相川(石巻市)は昭和三陸津波の後、満潮面から高さ31メートルの場所に宅地を造成した結果、移転先は無事だった。 内閣府によると、明治三陸大津波後の高台移転の多くは、有志者が提案して義援金などを使って宅地開発を行った。昭和三陸津波後は、高台移転が盛り込まれた復興計画に基づき、移転が実施された。 調査結果は今後の地震・津波対策を検討している中央防災会議の専門調査会(座長・河田恵昭関西大教授)に報告された。今後、自治体の対策につなげる。 河田座長は「移転先は中途半端な場所ではいけないということが教訓として示された」と話す。◎気仙沼・大沢地区「ここは大丈夫と油断」/過去の経験、悲劇招く 「ここは大丈夫とみんなが思っていた。油断があった」 気仙沼市唐桑町大沢(旧唐桑村大沢)地区に住んでいた千葉信子さん(80)が振り返る。自宅は、かつて集団移転した「町屋敷」と呼ばれる場所にあった。 大沢地区の集落はもともと、港の近くだった。明治三陸大津波(1896年)で甚大な被害を受け、約300メートル内陸の造成地に集団移転。移転先の標高は10メートル前後で以前より5メートルほど高かった。 町屋敷は国道45号から西に折れる市道沿いの集落。ほぼ同じ広さの敷地で約20軒が並んでいた。信子さんは「明治の大津波が及ばなかった場所を区画整理し、みんなが移り住んだと母から聞いた」と証言する。 東日本大震災の津波は昭和三陸津波(1933年)、チリ地震津波(1960年)を上回り、町屋敷一帯の住宅を全てのみ込んだ。過去の経験則から「津波は来ないだろう」と自宅にとどまり、亡くなった人もいた。 信子さんと軒を連ねる千葉毅八さん(74)の自宅も塀の一部が残るだけ。「明治のときはここまで津波は来なかったと聞いていたのに」と語る。 国道45号東側の高台上り口に住んでいた村上隆芳さん(86)は、昭和三陸津波で被害を受けて住居を移した一人だ。 村上さんは当時小学生。港のすぐそばにあった自宅が引き波で流されるのを目の当たりにした。 その後、津波被害がなかった標高十数メートルの場所に移ったが、今回の津波では2階建て住宅の1階天井まで津波が入り込んだ。「まさか、ウチまで来るとは思わなかった」と話す。 大沢地区では死者、行方不明者が約40人に上る。6月には住民有志が高台への集団移転を目指す期成同盟会を設立し、話し合いを進めている一方で、がれき処理が進み、「元の場所でもいいから戻りたい」という住民もいるという。◎大船渡・所通地区「どうしようもない」/内陸寄り、安全信じる 越喜来湾を望む大船渡市三陸町越喜来(旧越喜来村)。商店や飲食店が集まる海抜十数メートルの所通(ところがよい)地区は東日本大震災で六十数人が死亡、約70戸の家屋のうち8割以上が全半壊する壊滅的な被害を受けた。 湾から約1キロ内陸の所通地区は、昭和三陸津波(1933年)で大きな被害を受けた沖田地区の住民が移転したことで開発が進んだ。 沖田地区は海抜2メートルで海岸からもわずか50メートルしか離れていない。昭和三陸津波では、大半の建物が津波被害に遭った。 東日本大震災で被災し現在、仮設住宅に身を寄せている及川忠之丞さん(85)は、父親が沖田地区からの移転者に土地を提供したことを覚えている。及川さんは「移転に伴い、父親のほか、数人が土地を売った。人が移ってきたことで、周辺は随分にぎやかになっていった」と振り返る。 所通地区は、沖田地区から数百メートル内陸寄りにあり、当時は、ほぼどんな津波でも安全と信じられていた。 父の代に沖田地区から移転したという不動産業葈沢(からむしざわ)甲東さん(53)は、父親から「防潮堤も設置されたので8メートルぐらいの津波であれば、まず安心だ」と聞かされていた。 ところが、東日本大震災では地区の8割以上の建物が被害を受け、死者数も越喜来で最も多かった。 「想定を超えた津波だった。父はくやしいだろうが、20メートル近い津波ではどうしようもない」。葈沢さんは、自分を納得させるように話す。2011年09月15日木曜日http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110915_01.htm
いや 分からないです。 でも 高台に移ったのに 浸水したって・・・・ 今回の津波は 本当に凄かったのを物語りますね。
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全てが想定外でしたからね。あの高さまでくるとはだれも予想していませんでしたから。 今回で学んだ教訓も数多くあるはずです。
むずかしいですね。 10メートルあれば 大丈夫と思いそうだもの。 あんなのがくるとは。
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