本来宗教は生命の起源であるとかこの世の成り立ちであるとか、そういったものを深く追求したものであり、この世には1つしかないものであるように思います。
しかしそれを知る者は残念ながら誰一人いないのです。
ただ、その教えの開祖である偉人は少なくともその解明に一生を捧げそれに近づくべく答えを導き出しそれを宗教という形に残したのだと思います。
その一つであるべきものが何故このようにたくさんあるのか・・・
それは教えを説くがわに違いがあるからでしょう。
人を幸せにするために説かれたのならそれだけの力がその教えにあるのが本当でしょうが、残念ながら全ての宗教にそれがあるとは思えません。
教えにも浅深があると思います。
又その教えを受けとる側によっても結果は変わるのではないでしょうか?
何より宗教を貶めているのはその思想そのものよりもそれを使う側に問題があるように思います。
宗教が争い・差別を生み出すというよりは宗教をそのように利用している場合が多い。
戦争といったものも本来は動物の本能であるところの闘争心といったものでしょう。それは本来動物が生きていくために必要不可欠なものであったはずなのです。
しかし、人間は知恵を持った。その闘争心をスポーツといったものへと使えば問題はありませんが、知恵を持ったために利を貪り戦争という不幸な事態を引き起こしているのです。
それに宗教が利用されている場合が多いとも思います。