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今更ながら風の谷のナウシカにはまっています。wikiで内容を調べたのですが、
そのなかで、

>映画版では、演出上の理由からナウシカが王蟲の群を止めるため王蟲の暴走に巻き込まれるエピソードなどが加えられている。これについて宮崎は、映画を宗教的な画面にしてしまったことへの想いから、宿題が残った映画であると発言した[19]。

とあるのですが、どういった意味でしょうか?宗教的なものは感じなかったのですが・・・分かる方がいらっしゃたら教えてください。

  • 質問者:うさぎ
  • 質問日時:2008-12-11 19:26:03
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ラストシーンは殉教と再生の話になっていますね

あえて単純に言えば、
「究極の自己犠牲は再生でもって贖われる」
というメッセージにもなっていると思います。

僕は子供の頃に見て、
「でも、僕はそんなに強くないし、
オウムの群れが来たらやっぱ逃げるだろうな…
俺って弱い人間だな」
と思って、なんだかブルーになりました。

  • 回答者:逃走論 (質問から7日後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

聖書、とくに「ナザレのイエス」について記した福音書を読まれた方であれば、ナウシカが犠牲となること、一度死んで甦ることなどについて、キリスト教におけるイエスの「十字架の死と復活」、「贖罪の犠牲」と重なると感じる方はおられるでしょう。知人のある牧師さんはそこのとを指摘しておられました。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

風の谷のナウシカの上映当時からはまって、いろんな関連本も買いました。

自分の記憶では、対談の中で宮崎監督が、
「王蟲の暴走、あれは止まらないでしょ。王蟲は急に止まらない(笑)」
的な発言をしていた記憶があります。

ナウシカの行動にしても、とにかく王蟲を助けたい、暴走していたら止めたいという
想いによって突き動かされるキャラだという語り方だったと思います。

長い原作(しかも当時はまだ完結していない)を2時間の映画にまとめるためにも
王蟲の暴走とそれを止めるナウシカというまとめ方になったという発言もあったと思います。

それらを宗教的と受け止めた人もいるということなんでしょうかね?

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

ラストで王蟲の群を止めた時、ナウシカは一度死んだ、その後王蟲の不思議な力で生き返ったという風に見えます。
大勢の人間を救うために自ら犠牲になり死んでまた生き返る、というあたりがキリストを連想させるから、というのもあるのではないでしょうか。

  • 回答者:joker (質問から3時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

映画の方はナウシカの神性が強くなっているあたりのことを述べているのじゃないでしょうか。
原作ではむしろオームが神性を帯びています。
せっかくはまられたのなら、宮崎監督自身が描いた原作(マンガ版)も読まれると面白いと思いますよ。

  • 回答者:skydon (質問から46分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

映画では、ナウシカが伝説の救世主として予言された存在だったことになっていることを宗教的と表現したのではないでしょうか。
確かに、映画はメシアの降臨の物語になっていますよね。

  • 回答者:TK (質問から8分後)
  • 2
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参考になりました。回答ありがとうございました。

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