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スポーツの世界で男女別の競技が行われている事は、生物学的な性差を理由としてのもので、不当な男女差別に当たらないとされているのが一般的です。

さらに、将棋や以後の世界で男女別の競技が行われていることも、脳の構造の違いに基づくもので、これも生物学的性差を理由として、許容されていると思われます。

しかし、この脳の構造の違いを理由として認められる余地があるのだとすると、(具体的な違いがどこに現れてくるかの確定次第では)、男女の雇用機会の均等が崩れる事になりませんか?

 たとえば、あくまでも仮の話ですが、脳の構造からいって、女性は論理的な思考を行う能力が劣っているということがいえるのだとすると、論理的な能力が必要とされる職業・職種の募集の際は、男性のみの募集が許容されることになりかねないと思います。

 (仮に、一般論としては、論理的な思考能力が劣るとしても、例外的な女性はたくさんおり、これを理由に、男性のみの求人募集は不合理だという批判をしてしまうと、今度は、スポーツの世界の男女別競技の正当性が揺るぎかねないと思います。)

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2013-09-16 18:05:27
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別に変な話ではないと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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要するに、集団として、円満に機能することができるのがメリットでしょ

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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男女差別ではないと思います。体の構造が違うのだから、男女別でも良いと思います。

世の中不公平なこと、差別化されていることいくらでもあります。如何に頑張っても公平になどなるわ

けがありません。これは昔からの現実だと思っています。

  • 回答者:あまのじゃく (質問から3時間後)
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そうですね。そのあたりは雇う側が
公平な目で判断して適材適所の場所に採用すれば良いことだと思います。
昇進にしてもそうです。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
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