社会的には、例えば意識不明で運ばれたときに手術の際の同意書を書く事が出来るのは家族なので、そういう難しさはあります。
結婚という契約関係は、国とかそういう社会システムに組み込まれていますので、乗っかれば便利な部分もありますし、逆に面倒な部分もあります。
長く一緒に暮らせば暮らす程、結婚しない事によるデメリットは大きくなるでしょう。 素朴な疑問さんは結婚を儀式?と捉えておられる様子ですが、それならば、いっその事その儀式を利用なさってはいかがでしょうか?
離婚が簡単に出来ないという部分を工夫して回避すれば、結婚という制度に関連するデメリットは避けられるのではと思います。(とは言え、日本はアメリカ等と比べて離婚が簡単です)
ある意味、結婚というブロセスの中で相手の事も自分の事も、新しい発見があります。結婚と言う儀式を経る事によってもしも別れてしまうようならば、そういう試金石もアリではないでしょうか?
私は結婚制度を信じてませんし、積極的に結婚する意志も在りませんでしたが、あるきっかけで結婚しました。それは、相手が「結婚制度」ではなく、私と共に生きるという意味での「結婚」を考えてくれる相手である事がハッキリ分かる機会があったからです。
心が結びついていれば制度としての結婚は関係なくなり、制度を二人の為に上手に利用する事が出来ます。
離婚の時の財産分与なんて生臭い利用の仕方ばかりクローズアップされますが、本来なら結婚制度は結婚した二人が幸せに暮らす為の便利な道具にするべきです。
そこを間違うから、離婚の時の武器みたいな使い方になるんではないでしょうか。
ちょっと話が逸れましたが、
最後に、同棲と結婚では質的に違う部分があります。同棲はどこまで行ってもパートナーとの関係までですが、結婚というのはパートナーの家族、血縁との関係にも踏み込む事になります。
パートナーとは直接の信頼関係がありますが、家族や血縁とは信頼を結ぶ為にある程度の覚悟をカタチとして見せなくてはならないでしょう。その為の儀式と考えれば結婚も無意味ではないと思います。
パートナーに関して自分から見えている部分だけではなく、彼もしくは彼女の存在を連綿と支えて来た血脈、そういう歴史みたいな部分まで踏み込んで愛するという意味合いを結婚は持っていると思います。
そう考えると、制度としての結婚からは自由になれると思いますよ。
あとは、踏み込んで結婚するか、同棲で二人の世界に生きるのかは選択の問題だと思います。