すべてのカテゴリ » ニュース・時事 » 社会

質問

終了

人を殺したらいけないのは解ります。しかし、自殺していけないのは何故なのか解りません。死にたい人がいて、誰にも迷惑かけずに死ねるなら死んで良いと思います。
誰かが自殺すると「残された人の気持ちを考えろ」と言われます。でも、死んだ人を救えなかったから自殺してるのに残された人の事まで考えろと言われるなんて余りにも周りが自分勝手な気がします。
人は何故自殺してはいけないのですか?
死にたいなら死なせてあげたらどうでしょうか?
・・と言いつつも目の前で自殺しそうな人がいたら説得してしまうかも知れませんが。
真面目な質問なので、真面目な回答だけお願いします。
※自分が自殺したいという話ではありません。

===補足===
警察庁発表:自殺者数の統計http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
『自殺のコスト』
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%88-%E9%9B%A8%E5%AE%AE-%E5%87%A6%E5%87%9B/dp/4872336445/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1275227666&sr=1-2

  • 質問者:12年連続3万人超
  • 質問日時:2010-05-29 01:33:24
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

皆様、貴重なお話大変参考になりました。
この質問は、あるラジオパーソナリティが(大して親しくも無かった)元同僚の自殺で「自殺防止」の発言が続いた事による疑問から生まれました。
自分は痛いのや辛いのは何より嫌なので自殺はしません。
将来的にも自殺しないで済む人間でありたいし、そんな社会を作る一員であれればと考えを新たにしました。
どうも有難うございます。

自殺はとかく個人の問題と捉えられがちですが、自殺の要因には、個人レベルの悩み事ばかりでなく、
医学的要因(鬱病など)、社会的要因(自殺を賛美・推奨・強制するような社会的・宗教的背景)など様々で、
どんな社会でも、必ず一定の率の自殺者が出ます。
言わば自殺は人類の社会に普遍的に存在する自然現象ともいえます。そういう意味では病死と同じです。
その普遍現象を、社会としてどのように解釈するかは、時代・地域・文化によって全く異なります。

日本について言えば、江戸時代には、武士が潔く切腹することは、称賛されることでした。
戦時中は、国のために死ぬことは名誉であり、捕虜になって生き長らえるより、自決すべしとされました。
(個人がどう考えていたかではなく、その社会で一般的に是とされていた価値観のことです)
宗教が信仰者を自殺へ駆り立てる例もありますね。即身仏、自爆テロなど。
現代の日本では、名誉・信念・信仰よりも、「命」が何より尊いものと位置づけられているために、
「まだ生きられるはずの命を自ら終わらせる自殺はいけない」と考える人が多くなっているのです。
社会の価値観が変われば、宗教や哲学もそれに合わせて解釈を変えていくものです。
「自殺は罪である」「自殺したら成仏できない」「残された人の気持ちを考えろ」
「世の中には生きたくても生きられない人が・・・」「後片付けする人の身になって・・・」など
皆後付けですが、社会の(多数派の)価値観に合致したからこそ普及した考え方です。
潔く切腹しようとする武士に「世の中には生きたくても生きられない人が・・・」なんて誰も言わなかったでしょう。
「自殺はいけない」なんて絶対的な価値観はないのです。

また、自殺はいけない、命は大切だと言いつつも、日本は伝統的に自殺を美化しがちな文化があります。
忠臣蔵など、今でも美談として語られる歴史的自殺もあります。
浄瑠璃の影響なのか、「心中」という名の自殺にも、少々同情的なところがあります。(例:失楽園)
誰かを救うために身代わりに死ぬことは、現代でも完全に美談です。(例:塩狩峠、新大久保駅の転落事故)
残された人の悲しみや後片付けする人の存在は変わらなくても、
自ら命を捨てることを美しいと感じる場合があるのも事実です。
そのことと、目の前で自殺しそうな人がいたら止めたくなる感情とは、共存しうると思います。
人類社会特有の自然現象としての自殺と、自殺したい(させたくない)感情だけが実在であり
理屈も解釈も宗教も全て後付けです。
「人間は自殺してはいけないのか?」という問いには、
何とでも理屈をつけて、否定も肯定も可能です。絶対の答えはありません。

自殺であろうと自然死であろうと、死は死です。死という自然現象の解釈は様々あるのに
多数派の意見だからといって、腑に落ちない価値観に縛られる必要はありません。
法に触れない範囲、他人の自由を侵害しない範囲で、自由に考えていればいいのです。
一般的な考え方に従うのは最も無難ですが、
「人は自殺してはいけないということは必ずしもない」という価値観を持つ個人がいたって
(他人に教唆などしなければ)何の問題もありません。私もそんな一人です。
個人的には、子供の自殺だけはやめてほしいと思いますけどね。
客観的に見て、簡単に解決できるはずの問題を理由に死ぬケースが多いように感じるので。
成人なら別にいいと思います。周りが迷惑という発想もちょっと違うと思っています。
追い詰められた人の、死ぬ方がましと思えるほどの生きる苦しみと、
命をかけた最後の決断に対して、「迷惑」はないんじゃないかと。他人の命を何だと思ってるのかと。
そんなことを口に出したら、感情的に言い返してくる人が多いので、言わないだけで
同じようなことを考えている人はいると思いますよ。

  • 回答者:デュルケーム (質問から5時間後)
  • 5
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>命をかけた最後の決断に対して、「迷惑」はないんじゃないかと。
「迷惑」と「自殺」は切っても切れないワードの一つなので敢えて使いました。想定したのは、無関係の大多数を意図的に巻き込む場合です。例えば、秋葉のホコ天で通行人をナイフで次々に刺した犯人など。自分をこうさせた世間を巻き込んだ(本人は死んで無いが)自殺と言われてます。通勤電車で飛び込みも首都圏は連日あるのでやっぱりそう思います。
ここまで拝読してみて、解らなくても良いという選択肢も許されるのかと、ちょっと肩の力が抜けた様な気もします。すんなり理解できました。
「自殺論」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%A0#.E3.80.8E.E8.87.AA.E6.AE.BA.E8.AB.96.E3.80.8F

並び替え:

自殺してはいけない理由の基本は「宗教」です。
宗教の教義上「紙が与えた命だから自殺は駄目」とか、
「輪廻転生できないから駄目」とか、
立証も証明も出来ないものを根拠にしているだけです。

古いものでは2000年以上前からある、かび臭い宗教観は、
人種差別(魔女裁判など含む)・戦争・科学的事象の否定(地動説の否定)など、
間違いの温床であることも少なくありません。

古い価値観しかもたない人達は想像すらできないのです「死ねない恐怖」というものを。

10年ほど前に茨城県東海村で放射能の臨界事故があり、2名が亡くなったことがありましたよね。
あの時の医療検証番組がNHKで放送されていて、私はそれを見ましたが、
あの番組ほど端的な「自殺の妨害」の真実の姿はないでしょう。

大量の放射線を浴びて「10日~1ヶ月で確実に死ぬ」という状況下で、
医師と看護士の方々は懸命に治療されていました。
ですが、髪や歯が抜け落ち、皮膚は爛れ、目や耳や鼻や口から出血を続け、
意識がある間は迫り来る死の恐怖と激痛に晒される状態です。

番組の最後の方に看護士の
「患者さんに治療を続けた事を恨んでいるのかを聞きたい」
という涙ながらの発言は命への真の問い掛けだと私は感じました。


自殺をしなくて済むように「状況を変えてあげられる強力な力」があるなら、
自殺など私もさせないでしょう。
ですが、そんな万能な力など、この世には無いのです。

生きる事が苦しくて、辛くて、それをどうにも出来ない時に、
「助けてはやれないが死なずに苦しみ続けろ」など私には言えません。

私はそう考えています。

  • 回答者:生きる事は義務ではなく権利 (質問から7日後)
  • 2
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

私にとって大事と思える人以外が自殺したいと思ってる分には、周りに一切迷惑をかけなければご自由にどうぞと思います。
正直世の中に存在するすべての人に対して情なんてありませんし、死んでしまっても「ふぅーん」程度にしか感じない人なんて沢山います。
そんな人に対してまで、「自殺は良くない事、悲しむ人が大勢いるんだから」などと説得する気は起きません。
自殺したがってる人にはそれなりの理由があってのことでしょうし、自殺を引きとめたからといってその後に私がその人の力になったりする事まではできませんので。

ただ、余命宣告を受け、生きたくても生きることができないひともいますので、そういう人からしたらどんなことがあろうとも生きていられる結構な体があることは羨ましい事なのだと思います。
そういう人からしたら自ら命を捨てるくらいならあなたが私の病気になればよかったのに・・・憎たらしいとは思われることでしょうね。

人生色々ありますから、どうしても生きていたくない、死んじゃいたいと思うのであればその人の人生ですので好きにすればいいと私は思います。

  • 回答者:匿名 (質問から4日後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

ニュースで伝えられる自殺者の数がどれほど多くても、自分とは、あまり係わりがあるとは思えず、「これは社会問題だ!政治が悪い!」と、それなりに怒ることはある。

自分の周りの良く知った人が、亡くなれば、悲しい思いをする、それが自殺でもなくてもである。
慕っている人ほど、その悲しみは深い、辛い。

その死の原因が病気や老い、やむを得ない事故、災害なら、死を受け入れ、悲しむ自分を納得させることもできる。
しかし、自殺となれば、そうはいかない。

自殺の原因は、その人の環境の中にあるはず。
当人が無くなったたことも悲しいが、その原因や助ける手立てが自分にもあったかもしれないと思うと、なおさら、ただではいられない。

だから、「自殺は、してはいけない。」ということにしよう、ということではないか、と思う。

  • 回答者:団塊 (質問から4日後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

死と言うのは、ある意味
最も確実で、最も手軽な
逃げ道です。
全ての悩みや苦しみから
確実に逃れられる訳ですし。

ここで、「自殺していい」事になったとしたら
人はちょっとした困難であっても
逃げてしまわないでしょうか。
逃げずに乗り越える事で、
「あの時死ななくて良かった」と、
思う人が数多く居るはずです。

自殺の敷居を下げることは、
この乗り越える人を減らしてしまわないでしょうか?
宗教には詳しくは無いですが、
教義として自殺を禁じているのは、
そう言った意味合いもあるのでは
ないかと思っています。

既に書かれていますが、
自殺願望は一種の病気です。
これは、治る可能性のある病気です。
治療する猶予が必要だと思いませんか?

  • 回答者:Maku (質問から2日後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

相棒の一説では、「人は誰かとかかわっている」という前提で、
1、相続 2、生命上 3、後世上 4、地域上 などの観点でしょう。
相続も負か資で違うし、知らない負債を後世が背負うのは…。
あおるわけではないですが、完全孤独が自殺の一番要因。

  • 回答者:匿名 (質問から2日後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

①誰にも迷惑をかけないで自殺する方法はないと思いますので、自殺はいけないと思います。
②人間の命を奪うことになるので、自殺は殺人と同じだと思います。
③自殺をするときの人の精神状態は異常だと思います。冷静に静かに、感ず得てみると
自分の命を絶つことがいいという考えにはならないと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から2日後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

自殺はいけなくはありません。
死にたい人は死んでいいと思います。
死ぬときまで迷惑かけなければ問題ないですね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2日後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

人に迷惑かけるからでしょう


迷惑かけることは、絶対しない

  • 回答者:匿名 (質問から1日後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

人に迷惑をかけて生きていくものだし、
自殺したって別にいいのです。
ただ時間が解決してくれる事もあります。

  • 回答者:ry (質問から1日後)
  • 2
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

現実的なことを挙げれば、自殺者の死体の回収や、葬儀の手続きや、口座の解約や、ありとあらゆる手続きで他人の手が煩わされます。
こういう些細なことだって、自殺者が他人に与えている「迷惑」です。
他人に一切迷惑をかけない自殺などというものはありません。
自然死の場合も葬儀や解約などの手続きは発生しますが、それはどうしても避けられない死であって、避けられない手続きが発生したということで許せます。
自殺の場合は、その人が自殺さえしなければ発生しなかったはずの手続きです。
「やらなくてよかったはずの作業手続きをやらされる」という意味で、それは立派な他人への迷惑行為にあたると思います。

  • 回答者:匿名 (質問から1日後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

自殺は迷惑であり許せないという認識なのは解りました。
しかし人は何れ必ず死ぬ訳で、死亡の手続きは自殺他殺事故に拘わらずほぼ同じ大差無いと思います。寧ろ、覚悟の自殺の場合には自分でできる最低限の手続きを済ませてから自殺する人もいる程です。身内に対しては退職・部屋の引き払い・口座解約・現金の用意など。身内以外は職務として拘わるに過ぎません。最近は孤立死で身内に手続きを拒否され無縁仏となるケースも増加してるそうですが。

宗教的な考えでいうと、すべての生き物は神の創造物だから
勝手に命を捨てることは許されない、ってことじゃないでしょうか。

>死んだ人を救えなかったから自殺してるのに

というのはなんか甘ったれた考え方ですね。
愛してくれていた人達を「救ってくれなかった」と責めたいみたい。
そうじゃなくて本当の敵を責めるべきでしょう。
でも残念ながら自殺者を本当に追い詰めた憎い敵は、
自殺者が死んだらすっきりして笑うだけです。
愛してくれていた人達を追い詰めて、苦しめていた相手を喜ばせる。
そう考えるとバカバカしいですよね。

でも私も根本的には悪いことでないと思っています。
生きているのがそんなに苦痛なら、それもアリかなと。

  • 回答者:とくめい (質問から1日後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

中途半端な知識ですが、キリスト教なんかですと、
自殺というのは、
この世で何かを為すという神様から貰った使命を、自ら放棄してしまうことだから
「悪」という事に定義されているらしいです。

私は、キリスト教徒ではありませんが、
せっかく生まれてきたのに、自殺によって人生を終わらせると言う事は、
(上手くいってない)現実からの逃避でしかないのではと思います。

私にしても、今日も情けない望みの無い一日でした。
そのうち生きていたいと思っていても
死なざるを得ない日が来るのだから、
「もう暫くは生きていてみよう」と思いながら、毎晩寝床に入っています。

  • 回答者:匿名匿住所希望のNさん (質問から20時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

自殺するのがいけないのではなくて、若いうちに自殺するのがいけないのでは?
社会への貢献が期待できない人に対しては「安楽死」を認めている国があります。

つまり自分が受けた恩恵を社会に還元していない内に死ぬのは芳しくないという
考え方ではないでしょうか。
子どもを育てているのは親だけと考えがちですが、人1人を育て上げるには教育費
を含め多大な税金が投入されます。投入されたら次世代のために還元しないと。
人が生きていけば、それだけでも消費税が国に入っていき還元されていきます。

===補足===
評価をありがとうございます。
ナチスがやったのは自殺を認めることではなく、国の力で葬ったことです。
しかし現代の自殺(安楽死含む)は自らが決めてるのですよ。
ですので決定主体が異なります。

失礼ながら体を動かしていますか?
有酸素運動をすると頭がスッキリして気分が良いですよ。

この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

産業革命当時の効率化由来の思想ですよね。それが元でナチスへと繋がった誤った安楽死感と現代では言われています。当時は書籍化されバイブル的扱いだったとか。一節に「不幸な者、利己主義者、愚鈍な者、役に立たぬ者の寿命をなぜ延ばすのか」とあり、全てに当てはまる私などは「生きる資格が無いのだ」と自殺する気も無いのに思わされます。辛いっ
それと海外で安楽死を認める理由は違います。生き続ける事で耐えがたい痛みを伴う、意識が無い・意思表示ができず事前に安楽死を希望、家族にかかる様々な負担等々です。寧ろ、上記状態であっても、将来の医療・介護・家族のケアの視点では貴重な社会貢献とも言えます。誰でもでき得ない治験データは、国内だけでなく世界中への貢献となるでしょう。
>人が生きていけば、それだけでも消費税が国に入っていき還元されていきます。
消費税に限定すれば、誰であろうと何らかにお金は使われ国に入ります。
ただ健康保険・年金等も含めた全体のバランスで言えば大きく違ってくるとは思います。

自殺でその人が救われるのだったら少しは許せます。
苦しんで苦しんでそれしかないのだったら仕方ないです。

実は・・・子供も苦しんでいる時がありました。
でも親はどんな事があっても子供を失うのは耐え難いです。
親の人生もそこで止まってしまいそう・・・・
毎日、心配で胸がつぶれそうでした。
幸いにうちは立ち直りましたが。

以前、誰かの本でその方の息子さんの自殺を
自殺でなく自死と書いておられました。
「殺」の言葉は受け入れなかったのでしょう。
親の気持ちです

===補足===
暖かいコメントありがとう。
うちは今のところは平穏に暮らしてます。
長い人生、耐え難い時はあるかもしれません
乗り越えるか否かはそれぞれ。
その事が救われる唯一だったらそれでいいです。
でも親の悲しみはとても深いです。
 
親が枷になってもいけないけど・・・

  • 回答者:匿名 (質問から15時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご家族にとって厳しい発言をして済みません。どちらかと言えば、ご家族が、と言うよりご家族以外の他人が、「残された人の気持ち」発言をする印象はあるかも知れません。
攻撃する意図では無い単純な疑問なのでご理解下さい。
自殺で残された人が苦しむという前提で書きましたが、自殺する程の悩みを知っていて同時期にとても苦しむという事は解りました。親ですから当然ですよね。
お子さんが、生き続ける道を選択されて良かったです。親御さんの存在が抑止力になっているのは確かです。どうか長生きして下さい。

命はあなたが獲得したものではありません

すなわちあなたには自由にする権利がないのです

他のすべての命と同様に

  • 回答者:匿名 (質問から14時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

まわりの人が悲しくなるからです。

死は自然のものです。

  • 回答者:匿名 (質問から14時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

誰も知り合いもおらず.親も先になくなり.自分が死んでも悲しむ人が
いなければ自殺も自分の意思ですることです。

ただ生きたくても余命2ヶ月とか言われている病気の人もいっぱいいます。
なので自ら命を絶つ事は勿体無いです。
それだけですね

  • 回答者:匿名 (質問から13時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>勿体無いです。
当人が「勿体無い」と思わない、思えないから自殺するんだと思うんですよね。
それを何故駄目と言うのでしょうね。

自殺をしたい人は別にしても良いと思っています。
自らも戦争中ラバウルで片腕を失った水木しげるも言っています。「戦争では、生きたかったのに死んでいった仲間をたくさん見た。死にたくて死んでいく人たちはそれが幸せなんだから止めなければ良いんです」と。
私もこの意見には賛成です。が、自殺するにあたって絶対に考えなければいけないのは「他人に迷惑をかけないのか?」です。
ビルから飛び降りればぐちゃぐちゃになった肉体を、掃除する人たちはいやな気分でしょう。一応警察も救急車も出動しなければいけないので迷惑をかけます。さらに、現場を見てしまった人々はトラウマになるかもしれません。しかしやはり一番迷惑をかけるのは自殺する人の家族でしょう。自らの家族を失う悲しみは他の何よりも辛い物です。
自分が死ぬことによって他の人に描ける多大な迷惑を解消できない人は死ぬべきではありません。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

自殺でなく、事故で亡くなった方に対しても同様の手順が踏まれると思われます。寧ろ、明らかな自殺であれば犯人逮捕の工程が減るのでは?とすら。ご遺体に拘わる仕事をされる方々は「いやな気分」とは言え職務の一つなのです。
この場合の迷惑とは電車が止まる等の事を差したつもりです。電車に乗り遅れて失う機会は、(賠償)金で済まない場合もあると思うので。
駄目な理由が、周りの人基準なのがよく解らないのですよね。

自殺。。。本当に難しい問題ですね。
私はかなり自殺したくなるんですが、できませんね。
確かに救えなかったから死ぬんですよね。
自殺する人は健康体になって臓器提供してなら救われる人もいるかな。
私はうつ病で12年薬飲んでて数年前からくびになってアルバイト
してましたが、1年前につぶれてしまって、それからそんなことばかり
考えてしまいます。 もう38歳でこれからまともな仕事あると思えませんし。
やっぱり社会の構造のせいが大きいかな。
自分が生きる価値のない人間だと考えてしまう。
そんなしゃかいが。
たぶん本当はみんな価値があるし、役割あるんでしょうが、それに気づけない社会。
日本どこへ行く?ですかね。
まとまってなくてすいません。
自殺ということで参加させてもらいました。

  • 回答者:匿名 (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

12年というと自殺者が3万人超となった期間と同じですね。この12年は確かに日本社会も政治と共に大きく変革した時期だと思います。
しかし、価値観はそう簡単には変えられません。他人や社会は勿論の事、自分自身でさえ。「まとも」な仕事、社会の構造の「せい」、この2つが引っ掛かりました。
日本は民主党政権になり更に新たな方向へと変わる様相を呈しています。
変わるならより良く変わる事を望みましょう。自分もその一助と成りたいものです。
どうかお体ご自愛下さい。

やはり、現代に生きているものの損害を防ぐための、綺麗な理由付けだと思います。
昔は自殺が尊いとされた時代もありましたからね。
夫を追って妻が自害するとか、親の敵を討って自決するとか
最近まで、敵に自らの命を持って損傷を負わせることが美徳でした。
まだ人口が少なかった時代では
もしも子供がいる親が死んだら子供が困るし、代わりに世話する他人が困るから
簡単に責任から逃れるな、逃げるな、という理由で
自殺はいけないと言われるようになったのだと思います。
働き手が減っては地域が困ったでしょうし。

自殺を覚悟するほどの人は、その人本人は
かなり悩んで苦しんで、生きる苦痛から逃れたいからこそ
一瞬の苦しみとその後の静かな死を願って自殺を選択するのだろうと思います。
中には、自分の死が残されるものの利益につながると判断して、死ぬものもいるでしょう。
残されるものへの配慮があって、なおかつ本人が切望するならば
その人の意志を尊重することも、生き残るものには必要ではないのかな・・と思うときがあります。
事情によるところが大きいですね。どれほどの理由であるのか。
わたしの場合は、仮に妻に逃げられたから死にたいという人がいたら
「バカな事を考えるな。早まるな。」と、まずは止めるでしょう。

  • 回答者:けいぼう (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

古くからの日本社会をベースにしたお話は、なるほどと思わされます。
>自分の死が残されるものの利益につながると判断して
現実的に死亡保険金が残された家族を助けるという例もあるでしょうね。
>仮に妻に逃げられたから死にたいという人がいたら
私の場合は、「そんな事で?」と言ってしまいそう。喧嘩になるかな。(汗

自殺をしたい人はしたらいいと思いますね
ただし、自分自身が個人ですれば目的を達成でです。ただ、若い人ですと両親などは悲しまれるでしょうね。 倫理の問題ですね。
また、自殺の原因が、食べていけないとか、社会的弱者の場合は国などが支援して自殺を防止すべきでしょうね。
次に、高齢者の癌や治る見込みがなく、激痛が伴う病は、植物人間にされてまでは生きたくないですね。自分で医師に、過剰医療はやめて安楽死させて頂くように依頼しておきます。これも間接的な自殺と言えると思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

少なくともご両親は悲しむからですよ。

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

それでは、悲しむ両親や身内、知人友人いなければ、死んでもいいのですか?

倫理的な問題もありますが、自分としては必ず誰かに迷惑がかかるからだと思います。
どこで死んでも必ず誰かに迷惑がかかりますしね。

この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

死にたいなら死んだらいいと思います。
家族が自殺をすると残された家族はかなり辛い思いをするようですので、残された人の傷を最小限にする努力をし、死体が酷い状態だと片付ける人は嫌な思いをするので、それも配慮すればいいんじゃないかと思います。
私も自分が自殺したいとは思っていません。

===補足===
質問に答えていませんでしたね。
人は何故自殺してはいけないか?
それは、認めてはいけないと思われることだからではないですか?
「死にたければ死ねよ」とは軽々しくいえません。特に悩んでいる人に対して。
とりあえず、「自殺してはいけない」ということにしておいたほうが世間的によいと思われるからではないでしょうか?

  • 回答者:とくめい (質問から9時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>「死にたければ死ねよ」とは軽々しくいえません。
そうですね。TVを観ててなら言えますが本人を目の前に簡単には言えません。悪い人に成りたくないという保身なのかな?
>世間的によいと思われる
道徳とか倫理とかいう事ですよね。確かのその方が健全な社会なんだと思います。

その誰も迷誰にも迷惑かけずに死ねる方法というのはないんですよ。
なぜなら、社会的に自殺することが推奨されていないからです。ですので、誰にも迷惑をかけずに死ねる、などということはないのです。
社会的に自殺することが推奨されないことは他の人があげているように、自殺する、というのは損失が大きいからです。人間の数が減れば、それだけ労働力が減ってしまいますからね。自殺する、という行為はそれだけ自らの意思が強く、かつ、自らの手で自分を殺せる力がないといけない。その力があれば、十分労働力として期待できます。

人間というのは生きているだけで誰かしらに迷惑をかけているものです。
なので、いまさら死ぬことによる迷惑なんてたかがしれている、と言ってしまえばそれまでですが、生きている限りは、その迷惑に対して報いることができます。自殺すれば、それまでなんですから。迷惑をかけたなら、その分の迷惑料を誰かしらに支払ってから死ぬべきでしょう。

===補足===
その論理は一見正しいようで、正しくない。
というのも、社会というのは、一部の努力家と大半の怠け者で構成される。この怠け者がいなくなると、一部の努力家が怠け者になっていくわけです。これは、人口が減れば、それだけ消費が減り、そして、その分労働人口も減ってしまうためです。
高齢者の話もそう。高齢者という怠け者が存在するから、それを介護するという努力家が発生する。高齢者が減ると、この努力家は怠け者となり、社会から淘汰される。そうなると、ますます人が減っていく。人が減れば減るほど、努力する人間が減っていくわけで、最終的には社会が崩壊するんです。
大局的に見れば、人口が減るということは社会の崩壊にしかならないですよ。

ちなみに介護職の問題はいずれ解消されると思いますよ。需要が伸びてる状況なので、そのうち高賃金となって応募者が増えると思います。医者はとても大変といわれてるのに、いまだに医者になりたい人は後を絶ちませんよね。それと同じ現象がいずれ生まれます。まあ、それが何年、何十年先かは知りませんけどね。

  • 回答者:こーそんさん (質問から8時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

今の日本は労働人口は余っています。新卒者採用も厳しいですから減って丁度良いのでは?それでも不足している介護職には就かないでしょうけど。
百歩譲って労働力=納税者として金銭的視点で考えた場合、高齢者であれば年金・医療費支出が減るから寧ろ死んだ方が良いという論理になりますが、果たしてそれでいいのでしょうか?

自殺したら楽になりません。自殺した時の苦しみが永遠に続きます。
あの世にも法律があって労役刑が1万年続きます。霊能者が神様に説得して許しを貰えたら刑期が軽くなるケースもありますが、修行した霊能者じゃないと悪魔にやられて命を落とします。

自殺しようとする人は悩みを一人で抱えて周りが見えなくなって自己中になっているので専門家のカウンセリングが必要です。

  • 回答者:匿名 (質問から8時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

仏教のある宗派の信仰を持つ人なら理解できる思想でしょう。
スピリチュアル的に死後の世界を信じているからこそ、早く生まれ変わる為に早く死のうとする子供も多くいるのだとか。その場合なら、予防の効果はあるかも知れません。
でも、死後の世界を信じない人には何と言えば良いのでしょうね。

私も誰にも迷惑かけずに死ねるならって思ったときもあります。
けど、実際にはあるのかなって思いますね。
人は寿命を全うして、生きる義務もあると思います。
私は、目の前で自殺しようとしてる人がいても止めません。その人の自由だと思ってますし、引き止めたところで何がある?って思ってしまいます。色々考えての決断でしょう。自殺するまでには、家族のことや色々考えたのでしょう。
結局は自分自身の決断に任せるしかないと思います

  • 回答者:匿名希望 (質問から8時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

一昨日たまたまtwitterで、兄が遺書を残して家出したとRT兼捜索をお願いするのを見つけました。弟さんの必死さが強く伝わってきて涙が出そうでした。経過が定期的に載るんですが昨日残念な形で発見されたそうです。それをずっと見ていて、自分はその「兄」に会ったらどうしただろうかと考えていました。自分は止めるのかどうか。
止めない選択もあるでしょうね。人に依っては、止めない事が逆効果を生み生きる希望へと繋がる場合もあるでしょうから。

元々、人は自殺してはいけないという宗教的な理由によるのではないでしょうか。

私は、人には、死ぬ自由や権利というものもあってもいいという考え方があってもいいように思います。

しかし、それを社会として認めてしまうと、人間社会は滅びてしまうのではないかという考え方から、自ら死ぬ権利と言うのは規制が加えられているのではないでしょうか。

ただ、私は、折角、生を受けて生きてきたのだから、それに2度と生まれては来ないのだから、敢えて自ら命を絶つこともないのではないかと思います。
いつか、死は必ず来ますから、そんなに死に急ぎまでする必要はないのではないかと思います。

  • 回答者:パソコン叔父さん (質問から7時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

人を殺してはいけないことはありません。
実際に死刑制度があるわけで、人を殺してます。
理由があれば、人を殺してもよいのです。
また、戦争では、人を殺してもよいことになってます。
これも理由があれば殺してもよいことを認めています。

また、「誰にも迷惑をかけずに」人は生きることも死ぬこともできません。
人は自殺していけないことは何もないです。

人間は自分本位で傲慢ですから、自殺を許容すると
自分自身が死ぬことを許容することと勘違いするので
駄目だと拒絶反応を起こします。

死を忌み嫌い、恐怖するからです。

自殺してはいけない理由は何もないです。
尊厳死とか言う言葉があります。
理由があれば人は自殺することを許容しようとしています。
理由があるないというのは単なる主観で、自殺してはいけないとか自殺しもよいと
いう理由にはなりえないのです。

人は死ぬと生き返れない(不可逆)だからと言う理由を挙げる人もいますが
不可逆なものは世の中には一杯あります。

  • 回答者:静 (質問から5時間後)
  • 2
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

すみません。宗教的な考えになってしまいますが。

私はキリスト教徒です。
人はみな意味をもって生まれてくると教わりました。
人間生まれたからには神様に愛されて生まれてきたのだと。
なので自殺もしてはいけないと。

それを信じろとは言いませんが。

自殺をしたいと思う方は、心の問題を抱えている方や身体上の苦しみ(病気)、
また、人生に何の意味を感じない。生きているのが辛い、等
いろいろな、悩みを持った人達だと思います。

人間幸せに生きていれば死にたいなどと絶対に考えません。
自殺したいと思っている人も
どこかで、本当は生きたいと思っているはずです。

なので、みなそれを止めたいが為に自殺をしてはいけない。と言うのだと思います。
残された人の気持ちを考えろ。というのは説得の一つの方法であって、
それにより思いとどまってくれたら・・・。と。
その人の事を思って言っているのではないでしょうか。

自殺してはいけない。という言葉は
やさしさや思いやりから来る自然な言葉だと私は思っています。

文章が下手で、まとまりがなくてすみません。

  • 回答者:ななし (質問から2時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

「キリスト教徒」が正しい言い方なのですね。
もっと子供の頭が柔らかい時期に教えを受けていたらすんなり入ったのかも知れないなと思いました。今の自分は頭で理解しようと思うのでそれが障害になっている様です。
>どこかで、本当は生きたいと思っているはず
全員がそうであろうという前提なのですね。その前提が違うかもと考えてしまうから解らないのかなあ・・。

死ぬ気で居るなら、死が目前の方のお世話をしてあげてください。
命をあげろとは言いません。

「死にたいのに生きている」
「生きたいのに死が近づく」

こんな極端な心境の者同士の触れ合いは一体どんな物なのか興味ないですか?
きっとないですよね。
だって自殺は最大の自己中であり、罪なのです。(↓まさにキリスト教で教えられました。)
自己中な人が他人の為に動く事はないのです。



・・・・ことで如何でしょう?
結論⇒「自殺は最大の自己中であり、罪」

  • 回答者:神田 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

クリスチャンでは無いし信者以外がする日本の商業主義的クリスマス、教会結婚式も理解不能と考えているので、「罪」と言われてもピンと来ないのです。信者の方ならストンと胸に落ちるのでしょうか。キリスト教全部を否定する訳ではありませんが、キリスト教系宗派によっては違和感を感じる事もしばしばあるので。と、別の話になってしまいましたね。
>結論
自殺しようとする人間は、自己中は当然。自覚もあるでしょう。だから何、だから駄目って事になりますか?自己中の人に自己中と指摘する意味は?言われても、「はいそうですが」となるのでは?
すみません、全然解りませんでした。

あとに残された人の気持ちはどうでもいいんです。

問題は事務手続きが煩雑になる事があるので、それさえクリアできれば、死にたいと思う人の気持ちを止めるつもりはありません。
その辺の事務手続きを完璧に出来るのなら、自殺であろうと病死であろうと事故死であろうとこれから1分後に誰かさんが亡くなるかも知れません、その原因は何だかわかりませんが。
後に残された人の気持ちがどうのと言うのは生きている人間の勝手な思い込みですからね。
父は肺気腫で入院して退院、そして退院した翌日再入院して、再入院した当日亡くなりました。
病死で病院でなくなったとしても、周囲の人間の心の準備が出来ないまま、亡くなりました。
自殺なんてするなと言う人も沢山いますが、事故や病気であっという間に亡くなった人間の遺族からしてみると、要は心の準備が出来るか、出来ないかの違いじゃないかと思っています。
余命何カ月、余命何日と言う宣告が遺族、本人にされていれば、それなりに心の準備が出来ますが、あっという間になくなってしまったら、心の準備が出来ないです。
自殺も同じです。
周囲に自殺あるいはあっという間になくなってしまった人がいない人間には回答出来兄質問かもしれませんね。
死にたい人間には死なせて揚げればいいんです。
それまで一生懸命生きて生きて、それでもどうにもならない、そう思ってご本人が自らの手で自分の人生を終わりにするんです。
赤の他人に自分の人生を終わりにされるのとは違います。
他人に自分の人生を終わりにされるのなら悔いが残るかも知れませんが、自殺の場合は本人が納得しているんですから、自らの手で人生を終了させるのもいいと思っています。
一番悔いが残るのは自ら自分で自分の人生をリセットする事ではなく他人に自分の人生を強制終了させられる、他人に自分の人生をリセットさせられる事なんです。
本人はまだやりたい事があるのに、交通事故、他人に何とかさせられる、それが一番無念なんですよね。
いずれは人間死ぬんです、それを考えたら、自らの命を自分でリセットする権利が認められてもいいかと私は思っています。
ただし、その後の残されるモノに対しての事務的な事、想いは必ず文章で残す事が必要です。

私の周りには自殺した人と病死であっという間に亡くなった人、事故死した人が何人かいます。
そして私も50年生きていて、同級生の中に自殺した人、病死した人、訳ありの死に方をした人がいます。
人間の生き方ってきれいごとばかり言っていられないんです。
きれいごとで済まされる生き方を出来る人って少ないです、なので、死にたいと言う人があれば、事務処理その他すべて完ぺきに自分が死んだあと、周囲が納得できるものを紙ベースで残せるのなら、止めはしないですし、自分の人生を強制終了するのも自己責任で出来るのなら、止めない、そう周囲に言っています。
その前に相談したいのなら、いくらでも話は聞くし、相談にのりますが。
自殺した人間が最後に電話、メールをしてきたのが私だったなんて事も過去にはありました。
勿論警察の人が来ましたよ、その辺の迷惑等の事も考えてから自殺するのなら、止めはしません、本人しか人生のリセットボタンは押せないんですから。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

スピリチュアル系の話なので、信じる信じないはあると思いますが、
自殺したら、次に生まれ変われない。
自殺した時の苦しみが永遠に続く。などと言われています。

死んだら、極楽に行きたい。実際そんなものはなくても、死後に悪いことをした人は地獄に落ち、生前は苦しんでいても善行を積んでいたら、極楽にいける。

そう考えることによって、死への恐怖や、どうしようもないことへの精神の安定を保ってきたのに、それが機能しなくなるから。


死にたいなら、死なせてあげれば。と思わなくもないですが。
誰にも迷惑かけずに死ぬのは不可能です。
樹海で誰にも見つからず。とか思われるのが特に迷惑。(樹海のある県在住)

また生き物には「寿命」があります。
いつかは終わるその時まで、精一杯生きることが生まれてきたものの勤めだと思います。

以上のような事柄から、自殺してはいけないというのが一般的な認識だと思います。

またアメリカやヨーロッパだとキリスト教ですので、宗教的に確か自殺はNGだったはずです。

===補足===
他者に対して「だから駄目なんだよ」と言うとしたら、私の場合は。
まずは、迷惑だから止めてといいます。

例えば、あまり知られてはいませんが、以下のような事実があります。
樹海で自殺する人のための捜査で、夏のシーズンなどには人手が割かれて、
本来の捜査に支障が出ていること。
捜索や遺体の処分などの費用が地元の市の財政を圧迫している事実。
地元の風評被害。
不幸にも遺体を発見してしまった人の心の傷について。
そういったことをとことん話ます。

これは多分、自殺の名所ならどこでも同じような悩みがあると思います。
また電車への飛び込みをみてしまったがゆえに肉が食べれなくなった知人もいます。

それと、自殺する人の大半がうつなどの精神病をわずらっているという統計があるので、
「あなたは病気なんだから、治療が必要」といって説得します。
「私は病気じゃない」と言われても、「普通の人は自殺なんて考えない」って言い返します。

それと、全く個人的なことですし説得力は持たないでしょうけれど。
家族を突然の事故で亡くしているので、
「生きたくても生きれなかった人がいるのに、どうして自分から命を絶つの?」って言います。
私の苦しみなんてわからないって言われておしまいでしょうけどね。
誰にだって苦しみはあるよ!と思います。
凄く腹が立つんですよ。
命を粗末にする人って。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

スピリチュアルというより古来からの仏教的な思想ですよね。日本人なので馴染みはありますし、そういう思想はキリスト教よりも寧ろ理解しやすいです。ただ、自分もなんとなくそう思う、けれど他者に対して「だから駄目なんだよ」と言うのに弱い気がするんですよね。曖昧だからなんでしょうか?説得力に欠けると言うか。うーん^^;
(キリスト教は自殺はだめと教えていますが、聖書には一言も書いていないのだとか。後付けの解釈とも言われています。)

自殺で迷惑がかからないことなんてないと思います。
死んだ後始末のことばかりではなく 死んで誰も傷つかないということがないからです。
自分にしたら「誰も悲しむことがないから。」と鬱の友人などにもよく言われます。「親も悲しまないだろうし誰も自分のことで悲しむことはない」と ですが何故そう思うのでしょう。
「誰も自分のことはわからない」そう思うように 誰も人のことなんかわからないのです。
一度でも大切な人を亡くし 置いて行かれた悲しさを知っていたらとても自殺なんて考えられないものです。私もとても悲しい想いをし それこそ死んでしまいたいような気持でいましたが それでも自殺は考えませんでした。
同じ悲しみを たとえそれが自分と同じような悲しみでないとしても ほんのちょっとだとしても人に押し付ける気持ちにはとてもなりませんでした。
自分が受けた悲しみ以上の悲しみは たとえすぐに忘れられてしまうような ちょっとしたものですらも もうなくっていい。。。 そう思えました。
そんな感情らしきものを取り戻せたのも 半年以上かかりましたが 本当の悲しみに心が折れてしまった時には自殺すら考え付く余裕もなかったです。毎日が真っ白でした。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

鬱のご友人の話ですが、死にたくなるのも病気の症状の一つらしいです。
>一度でも大切な人を亡くし 置いて行かれた悲しさを知っていたら
子供が10代で親を自殺で亡くすと、その子供自身も自殺する確率が高くなるという統計が出ています。20代以降はそれ以外の人と同率になるとか。
お辛い気持ちは良く解りました。
こんなわからずやにご回答頂き恐縮してしまいます。何だか申し訳ない位。
ご自愛下さいませ。

自殺をしてはいけないなんて別に決まってるわけじゃないですよ。
ただ、社会としては自殺をよしとするような社会であってはいけないというだけです。
命は個人的なものであり社会的なものですから
基準は様々です。
個人的に死にたいと思ったら死のうとするし、社会としてはそれを止めようとする。
ただそれだけの事です。

  • 回答者:匿名 (質問から37分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>社会としては自殺をよしとするような社会であってはいけないというだけです。
倫理的な事だからという意味ですね。それはその通り正しいとは思うんです。
でも・・・「ただそれだけの事」と割り切って納得ができないのです。

「寿命」があるからです。
人間は誰でもいつかは死にます。
病気や事故で亡くなるか、事件に巻き込まれるか、老衰で亡くなるか、運命は人それぞれとして。
自分の命だから、自分の好きなようにしていい、とはならないと思います。
自分の存在は、親があり、先祖あってのものです。
感謝して、与えられた命は全うするのは天命であり、宿命では?
生きたくても、ながらえない人もいます。
まだ生きれるのに、自ら命を絶つというのは、寿命のある人間界ではルール違反だと思います。
どんなに苦しい人生でも、命尽きるまで生きてこそ、天寿全うです。

  • 回答者:生かされて生きるのです。 (質問から26分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>生きたくても、ながらえない人もいます。
これは、「はいそうですね」とは言えないんです。死にたい人にとっては無関係ですから。
>自分の命だから、自分の好きなようにしていい、とはならない
なるほど。自由にできるけれども敢えてしてはいけないという事ですか。その視点で考えてみます。

私は死にたい人は死ねばいいと思います。
でも、病気で死期が迫っているとか、そういうのでないとなかなか死ねないのが人間です。
実際薬では最近は死ぬのは難しくなっているし
飛び降りれる場所もフェンスが張られて防止策が取られていたり
ムトーハップが発売停止になったこともあります。
国としては、生きて税金を納めてくれる人が必要なので
死んでもらったら困る事情もあるのでしょう。

私としては多少お金がかかっても安楽死施設が欲しいと思いますが
たぶんそこに殺到するのはまさに税金を納めなくてはいけにような
人が多いんじゃないかなーと思います・

  • 回答者:匿名 (質問から22分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>国としては、生きて税金を納めてくれる人が必要
20~30代の自殺者が激増しているそうなので確かに納税者ですね。
年金受給者や医療費がかかる人の自殺は少なそうです。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る