修行のためにあるのですよ。
生きている限り、生老病死という苦しみから抜け出ることはありませんよね。
この事実をお釈迦様は2500年前に理解して、それに苦しむ人々を救うことが可能な真理を探し求める修行の道に立ったのです。
その結果出来上がったものが、仏教なんですね。お葬式だけやっているような寺院のことではありません。念のため。
修行ができるのは人間だけなのですよ。仏様の世界を除くと、6界が存在し、
天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界と言われています。
天界はいわば神様の世界です。この中で人間界以外は、修行ができません。
修行を積んで徳の高い方は生まれ変わった時に天界に生まれます。
徳がまあまあだった方は、また修行のチャンスが与えられて人間に生まれます。
不徳が高くなってしまった方や、因縁に流されてしまった方は、修羅界以下で強制的に魂を叩きなおされます。こうしてまたいつか、人間として生まれて修行のチャンスが巡ってくるのです。チャンスには当然、現世と同じように
生老病死の苦しみを伴います。何度もあの世とこの世を往復しますか?
この世に今居ると言うことは、前世は向こうで何とか魂を叩きなおしてもらって、今ここに居るわけですから、この身は今生だけにしませんか?
この世でたくさん徳を積んで、天界に生まれてみませんか?
こういうわけですから、人生は徳を積むための修行の場です。
方法ですか? かんたんに言うと、自分のことは後回しにして、他人のために
多くをすること。
その結果、生老病死を乗り越える歓びが生まれます。そうなった時には、この世が天国と言えるほどの常楽我浄の世界に自然に変っていきます。これが修行です。
自ら出来ない場合は、出家してしまうことかも知れません。出家の功徳と言うものも小さいものでは有りませんからね。本気なら無駄の無い修行が出来ますから。
付け足します。
「尊くも今日もこの世に在ることは、道を歩まんためと知るべし」