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質問

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「東京オリンピック」という映画を見ました。1964年の方ですが、ふと思ったのですが、オリンピックには選手村がありますが、自国の選手は選手村には入るのでしょうか、入らないのでしょうか。1964年の東京オリンピックや冬季の札幌・長野がどうだったのかわかりませんが、開催地に近い選手はむしろ自宅の方が落ち着く・調整しやすいと思う選手もいるかもしれないし、いや選手といっても東京オリであれば関東の人ばかりではなく、全国の精鋭選手が集まるのだから、関東の選手だけ優遇するわけにはいかないということも考えられます。

やはり、選手村に入るのでしょうか。あるいは、選手村ではないが自国の選手は独自に合宿所あるいはホテルなどに滞在しているのでしょうか。期間中はチームの結束ということで、選手村か合宿のような気がしますが、あるいは近い人は自宅、遠方の人はホテルなどになるのでしょうか。

  • 質問者:1-1
  • 質問日時:2008-07-24 23:59:30
  • 0

選手村に入るか入らないかは選手の自由です。
選手村は基本的に宿泊費やバイキング形式の食事が無料ですが、環境がベストという訳にはいきません。
それに、選手村には監督・コーチは入れません。
選手村以外の宿泊や食事は自腹になるのでお金もかかります。
日本オリンピック委員会はケチなのでそこまでお金は出してくれません。
選手・コーチ陣は、もろもろの事情を考えて、それぞれの方法をとります。

  • 回答者:自腹 (質問から13分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
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ご回答ありがとうございます。選手村に入るか入らないかは選手の自由なのですね。

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映画公開当時に映画館で見ました。
また、つい最近テレビで放映されたのも見ました。
古いビルの破壊から始まるこの映画を見ると
今の北京が想像できますね。

世界から孤立して第二次世界大戦に突入した日本にとって
日本が敗戦から復興して
初めて東洋で開かれるオリンピックだったこともあり
世界の仲間入りを徹底するために
この東京オリンピックでは日本選手たちに
食事は可能な限り選手村で、
各国の選手達といっしょに会話をしながら食べるようにと
日本オリンピック委員会から通達が出されていたと思います。
各国選手に対するホスト・ホステス役を日本選手は
求められていたんですね。

****************

そのとうりです。
選手ばかりでなく観客に対しても
遠くから日本に来てくれた外国選手に対しても
暖かい声援をおくるようにと言われていました。
第二次世界大戦が終わるまでは
外国人を見たらスパイと思えと教育されていたオトナ達は
今度こそ、日本人そのものは戦争が嫌いで
各国の人との交友を求めているのだということを立証するチャンスでもあったため
一生懸命応援。
陸上競技で周回遅れになった選手が最後にゴールするまで
拍手を続けていた観客の姿は
次のメキシコオリンピックでの観客の姿と、よく比較されていました。

また、この当時は
日本の食事のマナーは、食事のときは
黙って静かに食べるというのが戦争が終わるまで続いていたため
会話をしながら食事をすることに不慣れであったため
ずいぶん前から会話しながら食事をすることも練習していたようです。
今では考えられないかもしれませんが・・・・・。

  • 回答者:PonyRider (質問から4時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございました。日本が戦後復興したシンボルにもなった初めての日本での開催で、日本選手は競技の内外で各国の多くの選手とコミニュケーションを取ろうと役割を果たしたのですね。

開催国で有っても、一応全員
選手村には入ると想いますが。
オリンピックは期間が結構長いので
前半に出場する人と後半に出場する
人が居ますので、途中で帰国する
グループもあると想います。

  • 回答者:ジョウ3 (質問から4分後)
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回答ありがとうございました。
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ご回答ありがとうございます。

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