豊臣秀吉です。
何故武断派(福島正則ら)と文治派(石田三成ら)の抗争を阻止しなかったのか
問い質したいです。
競争させて成果を挙げようと思ったのかもしれませんが、
豊臣政権崩壊の切欠はそれですから。
それと家康の危険性も伝えておきたいです。
===補足===
生きている内に一度、武断派・文治派双方を呼びつけて
「お前達『両方』がいるからこそ当家は安泰である」と言っておけば良かったのに、
と思います。「豊臣家への忠誠」は双方共通でしたから。
秀吉は一応、家康にも警戒感は持っていたようですがそれよりも
黒田如水の方が危険性が高いと思っていたようです。
必ずしも間違った考えとは言えませんが、
家康の腹黒さとそれを隠す術に気がつかなかったのが運のつきでしょう。
実際の危険性は家康の方が高かったわけですから。
- 回答者:他にもいるけど (質問から15時間後)
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