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オリンピックがアマチュアスポーツの祭典ということであれば、心・技・体によって争われるべきではないでしょうか?以前話題になったスピード社の水着のように、使用する用具によって優劣が決まってしまうような自体はできる限り避けるように配慮するべきだと思うのですが、みなさんはいかが思いますか?

 たとえば、使用するユニフォーム、水着、用具などは、予め列挙した数種類のものから、選手が選ばなければいけないなどルール作りをしてみてはいかがでしょうか?貧富の差によって、オリンピック競技の結果が変わりかねないのは、さびしい感じがしています。

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2009-04-18 11:54:09
  • 0

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不毛な議論のような気がしますが。

そういうことを言い出したら、どこのトレーニング施設しか使ってはいけないとか、あらゆる条件を同じにしなくてはならなくなります。

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同感です。
アマチュアスポーツの祭典は表向きだけであって
本当の意味での平等とは言えませんね。

昭和39年の東京オリンピックのマラソンでエチオピアの
「アベベ」選手が金メダルを取りましたが、裸足での
参加でした。本当に衝撃的で、感激しました。

  • 回答者:T・K・M (質問から2時間後)
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道具もそうですが、オリンピックが「アマチュアのスポーツの祭典」というのは
現在ではあてはまりません。

プロが出場できるオリンピックになっているのが現状です。

プロとアマチュアで競って・・プロが勝つ確率が多くなるのは当たり前だと思います
この時点で不公平が出てきます(道具の差より大きいと思います)

確かに道具がある物に限っては種類を決めての競技も良い考えのような気がします

それよりプロが参加できるオリンピックに疑問をもちます。
初心にかえり「アマチュアの祭典」であるオリンピックに戻ることを希望しますね。

何のためにプロの参加をみとめたのでしょうかね~。

  • 回答者:とんちんかん (質問から21分後)
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