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人は右、車は左通行ですがいつ頃から決められたことなのでしょうか。

  • 質問者:早起きさん
  • 質問日時:2009-03-08 17:36:28
  • 1

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人も、左通行じゃないの?

===補足===
どうもです。
回答者と質問者が逆になってしまいましたね。
ベスト解答の代わりに、拍手しておきました。
ありがとうございました。

  • 回答者:左 (質問から2日後)
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お礼コメント

それも一理です。
札幌の地下街など左側通行になっています。
左側を歩くのは人間の本能らしいですね。
心臓が左にあるので守るためだと聞いたことがありました。

明治時代にイギリスの方式にならって導入されたものです。鉄道の上り下り、左側通行もイギリスと同じやり方です。鉄道のプラットホームが高いのもイギリス式です。他の欧州の国々では、プラットホームはせいぜい30cmの高さしかありません。かってイギリス領だった、香港、シンガポール、イギリスが宗主国だったオーストラリアやニュージーランドも車は左側通行です。

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明治時代にイギリスの方式にならったからですよ。

  • 回答者:sooda (質問から19時間後)
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もともと、日本は左側通行でした。それは、「これが現実」さんが言われるように武士の刀説が有力です。
でも、人が右側通行になったのは、戦後です。

明治時代は、通達により、すべて「左側通行」とされ、これがずっと続いたのですが、占領下でGHQの指導により、昭和24年の道路交通取締法で、車の左をそのままに、人を右に規定したため「、車は左、人は右」になったのです。

余談ですが、沖縄返還の時は、アメリカ式から日本式に変更するため、かなり大きな人員とお金がかかったそうですよ。切り替えには、時間を決めて、一斉切り替えが必要だったからです。

  • 回答者:道交法 (質問から3時間後)
  • 1
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明治時代日英同盟をしていたころ英国に倣いました。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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明治時代にイギリスの方式にならったからです。

===補足===
明治に技術導入したイギリスの鉄道が元々左側通行なので、車もそれにならったのです。
必然的に人は後方から来る車を避けるために、右側通行になります。

もともとの日本人は刀を左に差していたので、左側通行でしたので、文明開化の影響と
いえるでしょうね。

  • 回答者:これが現実 (質問から5分後)
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