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白洲 次郎

最近、白洲次郎さんという方の名前をよく目にします。
いったいどのような方か、ご存知ですか?

国籍は日本ですが、中身は英国紳士だった人です。
GHQが彼に対し一目も二目もおいていたのは、日本人とはかけ離れた英国臭さを
彼の中に見ていたから。
彼本人というよりも(米国からみた)英国に対するあこがれからでしょう。

英国のケンブリッジ・クレア・カレッジに留学
流暢なクイーンズ・イングリッシュを話し、マナーも完璧
ゴルフをさせてもイギリス仕込みでプレイマナーに厳格
自家用車もままならない時代、ヨーロッパ車を乗り回す
婚約者に自分のことを"Jon"と名乗る
自分の立場を明確にし、それを外に表明する

あいまいな笑みを浮かべながら、イエス・ノーをはっきり言わない・・・これが一般的な
日本人の姿です。
白洲次郎氏がもてはやされるのは、従来の日本人を受け入れられない日本人が
増えたからでしょうかね。

===補足===
ベストに選んで頂きありがとうございます。
広く一般に知られるようになったのは、キムタクさんが新聞・雑誌のインタビューで
「演じてみたい人」として挙げていたからでしょう。
キムタクは明石家さんまさんからの受け売りみたいです。

白洲氏が陛下からの下賜品を粗略に扱われ一喝したというエピソードも
日本が見下されたことへの義憤ともとれますが、英国仕込みの階級マナーが身について
いる白洲氏ならではの憤慨ともとれます。彼なら陛下ではなく英国女王へのプレゼント
だったとしても同じことを言ったような気がしますね。

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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

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たいしたことはしていないですが、ダンディだった人です。

占領下で自分の考えをしっかりと米国に伝える事が出来る気概を持っていた人です。

  • 回答者:匿名 (質問から22時間後)
  • 1
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参考になりました。回答ありがとうございました。

経済産業省の元となる省庁を、官僚の反対を押しのけて、
資源のない日本を貿易立国として復興させた人です。
また、日本が連合軍の占領下から開放され、
独立国として世界に認められたサンフランシスコ講和会議において、
当初、吉田茂首相が読み上げる原稿は英語で用意されていましたが、
独立国としての国の代表が話す言葉が、占領国のものではおかしいと主張し、
日本語での演説するようにさせたのも、白州次郎です。
貿易立国としての日本の復興の道筋をつけると、
あっさりと政治の世界から身を引き、東北電力の会長などを務め、
日本の産業の発展に貢献された、尊敬すべき方です。
今の日本の状態をみたらさぞなげかれることと思います。

  • 回答者:立派な方ですよ (質問から14時間後)
  • 0
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

これも有名な話ですが、後年はポルシェ911に乗っていたそうです。
そうそう、トヨタの初代ソアラの味付け(チューニング)にも関わっていたはずです。

  • 回答者:kudou (質問から3時間後)
  • 0
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参考になりました。回答ありがとうございました。

兵庫県芦屋の富豪・白州商店の御曹司。イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、イギリス流の紳士道を身につけた。身長180cmのハンサムボーイで、生涯スポーツカーを乗り回した。
 生まれも、育ちも、容姿も申し分ない。しかし、これだけでは「日本で一番カッコいい男」とは言えない。白州次郎が、「カッコいい」真骨頂を発揮したのは、戦後占領下である。

 1945年8月の敗戦から、1951年9月のサンフランシスコ講和会議までの6年間、日本は独立国でなく、他国の占領下にあった。連合国軍総司令部(GHQ)が日本を支配し、最高司令官マッカーサーが、最高権力者だった。
 昭和20年9月29日、新聞の一面に、天皇陛下とマッカーサー司令官の二人が並んだ記念写真が掲載された。正装の天皇に対し、マッカーサーはノーネクタイの略装だった。
この写真は日本国民に衝撃を与えた。政府は直ちに新聞を発禁にしたが、GHQは発禁を解除した。国民のだれもが敗戦を痛感した。そして、支配者が誰であるのかも思い知らされた。
 日本人は自信を失い、GHQの顔色を見て右往左往した。そのような時、白州次郎は吉田茂外務大臣の要請で終戦連絡事務局参与となり、GHQとの交渉にあたった。GHQに対して卑屈な官僚や政治家の中にあって、白州次郎は筋を通し、一歩も退かなかった。GHQは舌を巻き、「従順ならざる唯一の日本人」と、本国に連絡した。
 代表的なエピソードが二つある。
 昭和20年12月のクリスマス。マッカーサー司令長官に白州次郎は天皇陛下からのプレゼントを届けた。部屋のテーブルの上はプレゼントでいっぱいだった。マッカーサーは床のどこかに置いていけというという仕草をした。すると次郎は「いやしくも天皇陛下の贈り物である。床などにおけない」と怒りを爆発させた。驚いたマッカーサーは、急いで新しい机を運ばせた。

 GHQ民政局長ホイットニー将軍が「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」とお世辞を言った。そこには、勝者としての奢りが込められていた。これに対して、白州次郎は「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えたという。

 日本人が歴史上最も自信を喪失し、卑屈になっていた時期、支配者に対し、日本人の気概を示した人物が白州次郎だった。この姿こそ、まさに「カッコいい」と言える。

こちらより引用しました。
http://www.page.sannet.ne.jp/tsekine/syouzou.htm

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

かっこいい人で実在した人です。
資産家の家に生まれましたが、親の経営していた会社が倒産してしまいました。英国留学の経験があり、吉田首相の米国でのスピーチを日本語でやるようにとアドヴァイスしたりしています。同じような境遇に生まれた方と結婚されています。

  • 回答者:匿名 (質問から41分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

従順ならざる唯一の日本人ですね。
ドラマをみんなで見ましょう!!
http://www.nhk.or.jp/drama/dramalist/shirasujiro.html

  • 回答者:匿名係長 (質問から32分後)
  • 0
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参考になりました。回答ありがとうございました。

「終戦直後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通商産業省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。」(Wikipediaから引用)


かなり気骨のある人物で、マッカーサーをも一喝したことがある人物だとか。
今、NHKでドラマをやっていますので、人気が出ているようです。ちなみに、3月7日にも放送予定があります。

ちらをご覧いただくと詳細が書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E

  • 回答者:匿名希望 (質問から14分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

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